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東京地方裁判所 平成4年(ワ)17986号 判決

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別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、

1  原告三浦ひとみに対し、金一三一万九三〇二円及び内金九四万五五三二円に対する平成四年九月一日から、

2  原告橋本珠穂に対し、金一〇二万三六八〇円及び内金七二万七三七〇円に対する右同日から、

3  原告冨岡由起子に対し、金一二二万一一八六円及び内金八八万七七三六円に対する右同日から、

4  原告澤口ゆうみに対し、金一〇九万八〇二九円及び内金七七万八五五九円に対する右同日から、

5  原告金山和成に対し、金一三一万一四三六円及び内金九六万四八七六円に対する右同日から、

6  原告五十嵐佐知子に対し、金八七万〇六一八円及び内金六〇万二七七八円に対する右同日から、

7  原告坂本千佳子に対し、金一九万八九六七円及びこれに対する右同日から各完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二事案の概要

一  争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実

1  東京都新宿区百人町所在の「ウェストメディカルクリニック新宿」(以下、本件クリニックという)は、栃木県那須郡西那須野町で那須西部病院を経営する医師である訴外橋本信一(以下、訴外橋本という)が出資し、開設しようとしたものであったが、医療法上、医師は原則として一か所しか病院・診療所を開設することができないことから、同人の依頼により、被告が、平成四年六月一九日付けで、新宿保険所長に対し、本件クリニックの開設者・管理者となる開設届をなし、被告は、訴外橋本により、同年七月一七日、本件クリニックの院長に任命された(争いのない事実、〈証拠略〉)。

2  原告らは、本件クリニックに、別表1(略)の就業日欄記載の日に雇用され、原告三浦ひとみ、同橋本珠穂、同冨岡由起子及び同澤口ゆうみは看護婦として、同金山和成は薬剤師として、同五十嵐佐知子及び同坂本千佳子(以下、原告らを姓のみで表示する)は事務員として、それぞれ勤務していた(〈証拠・人証略〉)。

3  原告坂本は、平成四年八月一五日、本件クリニックを退職し、その余の原告らは、同月三一日、同クリニックを即時解雇された(〈証拠・人証略〉)。

4  原告らが支払を受けていない賃金は、別表1の未払賃金欄記載のとおりであり、原告坂本を除く原告らが支払を受けるべき解雇予告手当は、別表1(略)の解雇予告手当欄(その算出方法は、別表2(略)のとおり)記載のとおりである(〈証拠・人証略〉)。

二  争点

被告は、訴外橋本とともに、本件クリニックの共同経営者として、原告らとの間に、黙示の雇用契約を締結したかどうか。

第三争点に対する判断

一  認定事実

前記第二・一の事実と、証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  那須西部病院を経営する医師である訴外橋本信一は、平成三年一二月頃、エイズの検診業務等を行う病院を都内に四か所開設することを計画し、まず最初に、新宿区百人町に、本件「ウェストメディカルクリニック新宿」を開設するべく、平成四年四月八日、訴外アセットコーポレーションから、「那須西部病院橋本信一」名義で、ウェストウッドビルの二ないし四階を賃借する契約を締結した。

そして、本件クリニック開設の宣伝業務等を行う「ジェルグス」(代表取締役は、訴外江渕信男)という会社を設立した。

2  原告三浦は、看護協会の求人広告を見て、看護婦として本件クリニックに就職することを希望し、平成四年四月二日、東京都港区六本木所在のジェルグスの事務所において、訴外橋本、同山田敦(以下、山田という)及び同田中由美(以下、田中という)らの面接を受け、同月一六日、採用となり、同月末頃から就業した。

3  婦人科医師である被告は、平成四年三月頃、医学雑誌の募集記事を見て、本件クリニックに就職することを希望し、前記ジェルグスの事務所で、訴外橋本、同山田及び同田中らの面接を受け、同年六月一五日頃、採用となった。被告の雇用条件は、本件クリニックの診療日が月曜日から土曜日までであるところ、被告は、月曜日から木曜日までの週四日勤務であり、賃金は、日当六万円余で、年俸にして一二〇〇万円程度とする、というものであった。なお、被告は、金曜日ないし日曜日は、他の病院にパート医として勤務していた。

4  訴外橋本は、既に那須西部病院を開業しており、医療法上、本件クリニックの開設者・管理者となることができないため、訴外小野雅彦医師が院長として予定されていたが、同人は、同年六月頃、本件クリニックに勤務することを取りやめた。

すると、訴外橋本は、被告に対し、「本件クリニックを法人化するまでの数か月間、開設者名義を使わせてほしい」と依頼するので、被告は、本件クリニックの開設者・院長となることを承諾した。

こうして、同年六月一九日、新宿保険所長に対し、被告を本件クリニックの開設者・管理者とする届出(〈証拠略〉)が提出された。

5  その結果、本件クリニックは、次のような人的構成で発足することとなった。

すなわち、訴外橋本を理事長とし、院長である被告、訴外坂西晴三及び同金沢太郎が診療に当たる医師であり、前記山田が事務長であったが、同人は、平成四年五月末頃、退職したので、その後前記田中が事務責任者となった。そして、原告三浦が看護婦長となり、別表1記載のとおり、原告橋本が平成四年七月一日、同冨岡及び同澤口が同年五月一六日に看護婦として、原告金山が同年六月二二日に薬剤師として、原告五十嵐が同年七月一六日、同坂本が同年六月二二日に事務員として、各雇用され、また訴外岩政洋子が放射線技師として雇用された。その後、同年七月一七日、原告らに対し、右各職を命ずる旨、被告に対し、院長を命ずる旨の辞令(〈証拠略〉)が交付された。

6  被告は、院長として、本件クリニックに必要な備品購入の相談に応じたり、ウェストウッドビルの賃借名義を自己に変更することを承諾したり、リース物件の一部について、リース契約名義人となったりした。

また、就業規則(〈証拠略〉)を従業員らに示し、開業時には、従業員らを前に挨拶し、開業後、毎週月曜日に、他の医師、看護婦及び事務員らと打合せを行ったりしていた。

7  本件クリニックは、平成四年七月一七日頃、診療業務を開始したが、当初から経営は不振であり、同年九月初旬頃には、業務を閉鎖した。

8  従業員らに対する賃金については、平成四年六月分は、その支払日である同月二八日から数日後に、那須西部病院の石川事務長が現金を持参して来て、支払われた。

同年七月分は、二回に分けて支払われたが、まず一回めは、同年七月三〇日頃、訴外橋本、本件クリニックの顧問である訴外二宮秋宣及び山根堪四郎、那須西部病院の佐々木看護部長、前記石川事務長らが本件クリニックを訪れた際、被告が右の者らに要求し、現金約二〇〇万円を受取り、これを従業員に分配した。二回めは、同年八月になり、那須西部病院から振込まれた金員を従業員に分配した。しかし、別表1記載のとおり、同月分について、原告三浦において五万円、同冨岡において一二万円の未払分が残存している。

その後、同年九月に那須西部病院は倒産し、本件クリニックでは、同年八月分以降、原告ら従業員に対し、全く賃金が支払われていない。

被告は、本件クリニックに勤務していた間、「他にパート医としての収入があるから」として、全く賃金の支払を受けていない。

9  被告は、前記開設届の際、自己の印鑑を田中が作成・捺印することを承諾し、その後、社会保険診療報酬の請求手続のため、田中が同印鑑を保管・使用することを承諾していた。しかし、平成四年八月中旬頃以降、被告は、田中に右印鑑の使用を禁ずる旨申し渡した。

それにもかかわらず、田中は、右印鑑を使用し、平成四年八月三一日付けで作成した原告坂本を除く原告らに対する解雇通知書(〈証拠略〉)、及び同年九月一〇日頃作成した原告らに対する給与未払証明書(〈証拠略〉)に、ウェストメディカルクリニック新宿理事長橋本信一の記名押印に並んで、「院長尻高史啓」の記名押印をなした。更に、田中は、原告三浦の要請に応じ、同原告が失業金保険受給のため、渋谷公共職業安定所長に提出する採用証明書(〈証拠略〉)に、採用事業所名ウェストメディカルクリニック新宿の記名押印と代表者名尻高史啓の記名押印をした。

二  黙示の雇用契約の成否

右認定事実によれば、本件クリニックの設立計画や運営方針の決定、経営資金の提供、物的施設の整備、従業員の求人を行ったのは、那須西部病院を背景とした訴外橋本であり、被告がこれに関与することは、ほとんどなかったものと認められる。

原告らは、被告が訴外橋本とともに本件クリニックを共同経営していたと主張するが、被告の賃金の取決め方や勤務形態からして、被告も訴外橋本に従属し、同人に雇用される一勤務医に過ぎないものと認められ、原告らもそのように認識していたことが窺われる。前記のとおり、被告は、本件クリニックに勤務中、全く賃金の支払を受けていないことが認められるが、これは、被告が本件クリニックの経営者の立場にあったからではなく、訴外橋本から提供される資金が不足したため、他に期入を得られる途のあった被告が、原告らの生活を案じ、自らは、強いて賃金支払を受けようとしなかったためであると認めるのが相当である。

原告らは、被告が、〈1〉本件クリニックの開設者・管理者として開設届を提出し、〈2〉本件クリニックの院長として、前記一6のような行動をとったこと、〈3〉前記一8のように、平成四年七月分の一回めの賃金を原告ら従業員に分配したこと、〈4〉前記一9のように、社会保険診療報酬の請求書類に自己名義を使用することを承諾し、解雇通知書や給与未払証明書等に、訴外橋本とともに、被告の記名押印がなされていることをもって、右主張の根拠とするが、〈1〉については、被告は、訴外橋本から本件クリニックが法人化されるまでの期間、一時的に開設者・管理者となくことを依頼され、名目的に開設者・管理者となったものと認められ、原告らと雇用関係があるか否かについては、名目いかんにかかわらず、実質的観点から判断すべきであると考えられること、〈2〉については、確かに、被告が職制上、院長として、ほとんど本件クリニックに在院しない訴外橋本に代わって原告ら従業員の労務管理を行っていたことが認められるが、被告に人事に関する最終的決定権限があったとは認められず、右権限は、訴外橋本がこれを握っていたと認められること、なお、ウェストウッドビルの賃借名義を訴外橋本から被告に変更したのは、本件クリニックの開設者を被告名義にしたことに伴うものであったと認められること、〈3〉については、訴外橋本が原告ら従業員に対する賃金支払を遅滞したので、被告も従業員代表としての立場で、右支払を要求し、これを分配したものと認められること、〈4〉については、確かに、被告名義で社会保険診療報酬請求がなされたものと認められるが、同請求に必要な印鑑や右報酬金の管理は、訴外橋本の代理者としての田中がこれを行っており、被告が関与する余地はなかったものと認められること、また、解雇通知書や給与未払証明書に被告の記名押印がなされたのは、原告らの要求があったため、田中において、被告の承諾なくなしたものと認めるのが相当であり、結局原告らが、その主張の根拠とするところは、いずれも理由がないというべきである。

右認定判断したところによれば、被告が訴外橋本とともに、本件クリニックの共同経営者として、原告らと黙示の雇用契約を締結したものと認めることはできない。

三  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田肇)

〈別紙〉 当事者目録

原告 三浦ひとみ

原告 橋本珠穂

原告 冨岡由起子

原告 澤口ゆうみ

原告 金山和成

原告 五十嵐佐知子

原告 坂本千佳子

右原告七名訴訟代理人弁護士 南木武輝

被告 尻高史啓

右訴訟代理人弁護士 中野比登志

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